久しぶりの更新になってしまいました
生徒から、先日、ファリャの「ドビュッシー讃歌」をやってみたいと要望がありました。
すごく渋い曲なので、珍しい要望と思いましたが
生徒がやりたいといった曲は極力応えたいと思うので、私も弾いてみました。
運指もローポジションに一部変え、生徒が弾きやすい運指を考えてみました。
ところで、この曲「ドビュッシー讃歌」は、「ドビュッシー墓碑銘のための賛歌」というタイトルで表記され、
マニュエル・デ・ファリャ (1876年-1946年)がギターの為に作曲した唯一の作品です。
1918年にドビュッシーが没してから2年後、ドビュッシーを追悼する曲を依頼されて、
アンヘル・バリオス(ギタリスト)に運指上の助言を得たりしながら、できあがった作品でした。
「○○賛歌」という曲は、ほとんどがその作曲家が作った作品を一部引用して使うことが多いです。
たとえば、テデスコ「ボッケリーニ賛歌」は有名な「ボッケリーニのメヌエット」を題材とし、
プホールの「あるタンゴ弾きの死への哀歌」はピアソラの「天使の死」が引用されています。
ドビュッシーを追悼するなら、有名な「月の光」「アラベスク」などを題材にしたくなりそうですが、、
この暗い出だしは何を題材にしているのか気になり、まったく知らなかった私は調べてみました
ドビュッシーの「版画」(1930年)より「グラナダの夕べ」と
前奏曲集 ブック2(1913年)より「ぶどう酒の門」の一部を引用しているのだそうです。
さっそく、フジコ・ヘミングウェイさんのCDに「グラナダの夕べ」があったので、聴いてみました。
ピアノ曲でしたが、ファリャの「ドビュッシー讃歌」を彷彿させる旋律やリズム、響きが何度かでてきました。
さらに調べると、ファリャがグラナダのアルハンブラ宮殿近くに住んでいたことがあり
(実は私も、スペインを旅行したときにファリャの家に行ったことがあります)
この期間中に書かれたものだそうです。
また「ぶどう酒の門」はファリャがドビュッシーに送った、アルハンブラ宮殿の「ぶどう酒の門」が描かれている1通の絵葉書からインスピレーションを受けて作曲されたそうです。
そっか!!グラナダつながりだったんだ!と納得しました。
驚いた事にドビュッシーはほとんどスペインを訪れた事が無く、
想像力によって、グラナダの情景を描写したそうです。
が、ファリャは「作品全てが細部にまで渡って見事なまでにスペインを描写している」と讃えたそうです。
ファリャは生涯にわたって様々な様式で、多くの作品を作曲しましたが、
常にスペイン民謡やフラメンコ音楽のリズムや様式を取り入れて、それを大事にしていました。
ファリャの「ドビュッシー讃歌」は二人の天才作曲家の友情と、ファリャのスペイン音楽を大事にする思いから
生まれたことを再発見しました。
以前は、「ドビュッシー讃歌」は取っつきにくい曲に感じましたが、
自分も歳をとったのか、ゆったり流れるハバネラと印象的な旋律と和音を
楽しみながら味わって弾けるようになりました。